A50便り 第9号(2001年8月発行)

 7月24日(火)、17:00、東京、大手町、経団連会館901号室はロの字の卓を囲む50名余の男女で、狭く感じられた。この日、都心の気温は38℃に達したが、参集した人々からこれを嘆く声は洩れていない。自ら発する熱気で、猛暑をはね返しているのだ。キャラバンのメンバーとしては初顔合せなのだが、旧知の人々もいて、入場の度に挨拶が交わされていた。

 司会は、メンバーの一人で国際交流センター理事長の山本正氏。大河原良雄会長のアメリカ式で座ったままの挨拶は簡単だ。4つの事業が順調に進行していること、キャラバンの意味が大きいことを述べたあと、「難しい仕事でもあり、肉体的にも辛いこともあろうけれどよろしく」と結んだ。

 次いで山本氏に「A50の言い出しっぺ」と紹介された飯久保廣嗣氏が所信を表明。自ら作成した“Some thoughts on the origin of A50 and its caravan program”と題するレポートを披露した。  

 圧巻だったのは、コロンビア大学教授ジェラルド・カーティス氏のスピーチだった。カーティス氏は、キャラバンのメンバーに向けて心得ておくべき事項を具体的に詳細に述べた。

このキャラバン・プロジェクトは、時宜を得ており、3世代混成のチーム編成が草の根交流にふさわしいとした上で、「頭に入れておいてほしいこと」を次のように語った。

 「15のグループは、あくまで純粋に私的な存在であることを、ことあるごとに表明してほしい。つまり日本政府の代表でないことを強調するのは、しすぎということはないということ。日本がいきなり15チームを派遣して、1つのまとまったメッセージをアメリカ30州に伝えようとしていると受け取られるようなことには、決してならないようにしなければならない。うっかりすると、そう受け取られかねないからだ。  

 大事なことはチームの3人の意見が一致しないことだ。Appreciationという点で、その感謝を表明する行為は、日本文化のあり方であり、問題はないが、それについての考え方が、全員同じではないことの方が大事だ。Thank youという気持ちのほかは、uniformityはないということを伝えなくてはなるまい。型にはまった統一性を避けるということだ。

 『パールハーバー』という映画のおかげで真珠湾60周年だということを知っているアメリカ人は非常に多い。サンフランシスコ平和条約締結50周年などということを知っているアメリカ人は草の根レベルではきわめて少ないということも、承知しておくべきだ。  

 おそらく9月の初旬は、日本の戦争責任についての話題は口の端にかなりのぼるはずだ。小泉首相の靖国神社参拝が予定されている8月15日から、日の浅い時期で、韓国や中国の対日感情、反日運動も激しくなっていると予想される。話題としてこの問題を避けることはできない。これについて、どういう話をすればよいか、考えておく必要はある。しかし、三人の意見を合わせておいてはいけない。どんな質問にも率直にザックバランに答えてほしい。  

 最後にもう一つ、日米関係について。日本はアメリカから離れていこうとするのか否か、新しいナショナリズムの道を選ぶのではないかと半信半疑のアメリカ人がいる。それに対し、日本人から見れば、日米関係は、こう変わるという意見を夫々のメンバーが思うままにはっきり述べてほしい。  

 各地でのミーティングに出席するアメリカ人は、学者でも政治家でもないのだから、シンプルに丁寧に説明すること。明快であることが第一だ。いちばん関心のあることは、これからどうなるのか、日本は「改革」でほんとに変わるのか。それを知りたがっている。  

 多くのアメリカ人は、日本の不良債権処理についても、アメリカのミサイル防衛についても、あまり関心はない。それより日本社会での女性の役割、離婚率の増大の方に関心がある。  

 90年代に日本は変わったのか、世代間で意識の違いが生じているのかどうか、それが日米間の関係にどう影響があるのか、そして、どうあるべきか。日本の将来像については、たくさんの選択肢があるし、それに到るシナリオもいろいろある。その中のどれを自分は選ぼうとしているのか―などが関心を集めるにちがいない。 etc.」  

 やや遅れて参会した外務省北米局長の藤崎一郎氏が、日米関係をとりまく状況に係わる公式見解のプリントを配って説明した。  

 このあたりで会場の雰囲気が少し変化した。メンバーの間に、キャラバンに参加する実感が 浸透しはじめたようだった。言葉は発していないのだが、資料を追うメンバーの動作がそう告 げていた。  

 国際交流センター事務局長、勝又英子氏の伝える連絡事項は、すでに具体的な指示になっていた。夕食懇談会の開始は予定を30分近く超えた。打合せ会場から懇談会場への移動がかなりの時間を要した。三々五々立話を始め、なかなか席に着かなかったからだ。メンバーのテンションが上がっていた―。

 

初顔合せ、抱負さまざま

夕食会は三人で一つのテーブルを囲む。ここで同じチームの三人が語り合える趣向。だが、全体に向けての自己紹介が始まると、卓上の会話は途絶える。一人1分の約束のスピーチが熱を帯び、それが2分になり、5分になっても、ルール違反を咎める様子はない。期待する聴き手がおり、それに応える話し手がいるのだ。  

少しその話を拾ってみる。学生の瑞々しい抱負には、拍手も湧いた。

「自分もこの機会に成長したい」(駒崎弘樹氏)

「マクドナルドやコカコーラで育った世代だからこそ言えることがある。アメリカに追いつけ追い越せと走っていた時代にいたわけで、アプリシエーションといっても、上の世代の方々とは少し違う意味でとらえている。普段見ているままの日本像、アメリカ像を語りたい」(塩崎哲也氏)

「明るく楽しいメッセージを送る」(竹田いさみ氏)

「学生の視点で大人との話し合いに期待している」(須賀川朋美氏)

「秋田の田舎出身なので、アメリカの田舎で日本の田舎についてしゃべりたい」(菊地端夫氏)

 アメリカで高校や大学に通ったメンバーが大半である。団長の橋本徹氏も「A50便り」6号でその思い出を語っている。キャラバンでは、その後のアメリカ社会の変容にも目が配られる筈だ。東京純心女子大学教授の馬越恵美子氏は、「訪問先に留学中の友人が訪ねてきてくれるというので楽しみ。私が伝えたいのは、日本の男性がやさしくなったということ」とスピーチ。そこで翌日その具体的な内容を尋ねた。

「それは、ドアをあけてくれるとか、コートを掛けてくれるとかのマナーではない。私は子供が二人いる主婦でもあるが、仕事は男性と一緒にする機会が多い。そのとき、女性としてよりも、一人の人間として接してくれる男性が増えてきたと感じている。同じ仲間として評価してくれる。また、若いゼネレーションには、更なる変化が生じている。ただし、逆の態度の人もいて、これでは世界的に通用しないと思うこともある。総じてコミュニケーションのトレーニング不足だと感じていることなど…思うことは沢山あり、いろいろ意見を交換したい」ということだった。  

経団連常務理事の藤原勝博氏は、「戦後の給食で米兵のランチの缶詰を食べて、この世にこんなにうまいものがあるのかと感じて以来、アメリカに足を向けては寝られないという時期があったり、逆に仕事ではアメリカに嫌われて、アメリカが嫌いになったり、複雑だが…」と正直な感想。  

いずれにしても多士済々。カーティス教授が心配するようなユニフォーミティは求めても得られない、個性豊かな15チームが結成された初会合だった。



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