1957年、発達心理専攻の院生としてデトロイトのメリルパーマー研究所に留学した私は、専門書の英文はどうやらこなせたものの会話に至ってはまるでお粗末な語学力だった。会話の障害に悩む私にとり、子どもとやりとりする遊戯療法の実習はまことに気の重い課題だった。
実習では、研究所の附属幼稚園の健常な子どもと、遊戯室での一対一のやりとりの体験をする。緊張している私のところに連れて来られた子どもは、来た途端に私の金歯に興味をもち、口を開けて見せろと言ったりした後で、私に何をして遊びたいかと尋ね、私を一所懸命に遊ばせてくれたのである。主客転倒とでも言いたいこの実習の何日か後で、その子どもから、自分の誕生日にぜひあの留学生を招きたいという特別の招待を、実習担当教授経由でもらった。さらに教授から、実習では子どもと深くコミュニケートしていたと言われた。その時私は、コミュニケーションの本質とは何かということを、この子どもから学び、また励まされた思いを実感した。
今でもお粗末な語学力に悩む私ではあるが、研究においても社交においても、言葉を越えた誠意と内容の伝達こそ重要であることを、私はアメリカの子どもとの体験を通して学んだのであった。
人生にはいろいろな出逢いがあります。僕の人生はジャズとの出逢いから始まり、創ってくれたといってよいでしょう。
中学1年の時に終戦。僕の記憶では戦後すぐにWVTR(進駐軍放送)のラジオから、いろんな音楽が聞こえてきました。アメリカン・ポップ、ハワイアン、ヒルビリー、ジャズなど、それまで聴いたことのない明るい音楽に夢中になってしまいました。世の中にこんな音楽があるのかという驚きと共に憧れ、毎日学校から帰ってラジオにかじりついていました。
またアメリカ映画からも知らなかった世界の文化を教えてもらいました。たまたま見た『ブルースの誕生』という映画の中で、少年が吹くクラリネットに魅せられ、父親にねだって三千円の中古クラリネットを買ってもらいましたが、その時の嬉しさは忘れられません。それから数ヶ月後には毎週末、市内のダンスホールや米軍のキャンプ、ホテルで演奏していましたが、高校卒業と同時に上京、ジャズ・ミュージシャンとしての僕の音楽生活が今日まで続いています。
ボストンのバークリー・スクールに留学したのは1962年の夏、29歳のときです。それまでは、日本にはジャズを教えるところもなかったので、先輩やG.I.に教わったり、レコードのコピーなどで試行錯誤していたわけですが、当時バークリーはそれを理論だてて教えてくれる世界で唯一の学校でした。ピアニストの秋吉敏子さんがそこを卒業して演奏旅行に帰国したとき、僕を学校とスポンサーに紹介してくれたのです。その頃一般の渡航は、オールギャランティ(全費用先方引受け)でないと行けない時代でしたが、幸い僕は学校の奨学金とスポンサーを得たので、200ドルしか持たずに行きました。
ボストンに行く前、ニュージャージーの秋吉さんのお宅にしばらく居候をしていましたが、着いた晩にはニューヨーク・ヴィレッジにあったファイヴ・スポットで出演中のチャールス・ミンガスのグループにシット・イン(SIT IN:飛び入りで演奏すること)しました。演奏の後、彼にこれからどうするのかと聞かれ、学校に行くと答えたところ、それより俺のグループに入れと誘われ、夢のように感じたことを懐かしく憶い出します。
バードランドでは、ディジー・ガレスピー、ハーフノートではフィル・ウッズのグループなどで吹かせてもらいました。当時は東洋人のジャズ・サックス・プレイヤーということで珍しかったのだと思いますが、僕はトップ・プレイヤー達と競演したことである程度の自分のレベルも見え、何とか飯が食っていけるかなという感じをもってボストンに行くことができました。
ボストンでは週7ドルの部屋を見つけ、フライパンと毛布を買って学生生活が始まりましたが、財布の中身が30ドルになったころ最初の仕事があり、それからは毎週末には必ず、時には週日の仕事があるようになりました。10ヶ月経った時には1000ドルのお金が貯まったので、家族を呼び寄せることができました。
4年ほどボストンで暮らしましたが、65年の年はウエスト・コーストからミッド・ウエストまでロードに出たり、その後ニューヨークでスタジオ・ミュージシャンとして落ち着くつもりしたが、学校に行かなかったり、学生ヴィザで仕事とか、移民局に目をつけられ・・いろいろな事情が重なってブラックアウト(北部大停電)の日に決心をして日本に帰ってきました。
ボストンは懐かしい街、僕にとって第二の故郷になりました。そしてアメリカはたえず素晴らしいミュージシャン達を輩出しており、いつも新鮮な刺激を与えてくれます。A50の式典では、そのアメリカに感謝を込めて演奏したいと思います。
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