A50事業報告 / A50実行委員会 Mail


記念式典スピーチ抜粋



大河原 良雄
A50実行委員会 会長

 
 まさに50年前の本日、9月8日、我が国は米国の強力な後押しのお陰で国際社会への復帰を認められました。全国民こぞっての営々たる努力によって世界の国々から驚嘆の目を向けられるほどの素晴らしい発展をとげました。しかしながら、それはひとり我が国のカのみで達成できたものではありません。
例えばIMF、GATT、世界銀行、国際連合の加入の如く、この間に寄せられたアメリカ合衆国の貴重な支援と協力とを忘れることはできないのです。A50事業は、米国から寄せられた無類の支援と協力に対し、米国国民へ日本国民が感謝の意を表するものであり、全て民間の個人篤志家、企業、団体からの募金によってまかなわれています。


小泉 純一郎
内閣総理大臣


 終戦直後、敗戦のショックに加え、日本経済は疲弊し、国民は耐乏生活に苦しんでいました。そうした状況において、食料をはじめとする米国からの様々な寛容な支援は日本国民の生活を支え、そして日本の戦後復興を可能とする基盤となりました。また、米国からの奨学金で米国に渡った日本の若者達は、我が国の繁栄に大きな貢献を果たしました。もちろん、日本人が敗戦という状況に直面しても、希望と向上心を失わず、まさに刻苦精励したからこそ実現したことは言うまでもありません。
 サンフランシスコ平和条約に署名した吉田総理は、その後、米国の支援に対し率直にこれを理解し、明白に謝意を表すことが日本として大切である、と述べておられます。日米両国間のパートナーシップを21世紀の世界の中で一層発展させていくべく、私は皆様と共に努力していく決意であります。


稲盛 和夫
京セラ株式会社 名誉会長


 1946年に始まった米国の善意ある占領政策と寛大な温かい支援は、日本に奇跡的な復興をもたらしました。多くの日本企業は、米国企業より最先端の技術を導入し、そして、米国は、その巨大な市場を開放してくれたのです。我が社「京セラ」も、その恩恵を受けて発展してきたと言えます。
 終戦当時、人々は進駐してきた米軍の兵隊達が、乱暴狼籍をはたらくであろうと怯えていました。それどころか、彼らは空腹に飢えている人に多くの食料や医療品、衣服などを提供してくれたのです。当時私は、旧制の中学生でしたが、アメリカのこのような善意と人類愛に基づいた行為に感謝すべきと感じていました。
 感謝するという人間としての最も大切な礼節を忘れることなく、信義を重んじ、謙虚さを失わないことが、国際社会を生きていくうえでも極めて大切であろうと思います。そのような意味でも、このサンフランシスコ平和条約締結50周年にあたる今年、日本人が米国に対し素直にこころからの謝意を表し、このようなイベントを開催することは大変意義のあることだと思います。今回のA50という活動が、世界で最も重要な二国間関係といわれている日米関係を、より素晴らしいものにする一つの機会になることを心から期待しております。


ダン・クエール
元米国副大統領


 本日この式典にアメリカ合衆国の代表として参加できたことを大変光栄に存じます。米国を出発する前にジョージ・W・ブッシュ大統領とお会いし、A50事業をこのように実現されたことを感謝するとの大統領よりの伝言を預かってまいりました。これは大統領の真撃な気持ちでもあり、あわせて、非常に緊密な協力関係を築いている小泉首相に対しても、深い敬意を表したいとの伝言でございました。
 思い返せば、1992年に沖縄返還20周年を記念する式典に副大統領として出席のため日本を訪れたことは大変名誉なことでありました。大変重要な式典であり、私にとっても非常に思い出深いものであります。同様に、本日のサンフランシスコ平和条約締結記念のA50式典も私にとって忘れがたいものとなるでしょう。A50関係者の皆様のご尽力により、本日ここにわれわれが一堂に参集するという素晴らしい運びとなりました。米国の寛大なる援助、特に米国国民からの援助に村し賛辞を呈されたことは非常に意義深いことであります。私はこれら多くの謝意をこのような形で表明されたことに感謝するとともに、われわれに村し敬意を示していただいたことに感謝いたします。とはいえ、日本の真の成功はまさに日本の人々の努力によるものであることもここに確認させていただきたいと思います。1951年当時と違い、今や日本は米国の完全に対等なるパートナーです。
 サンフランシスコ平和条約は、明らかに、あなた方日本国民が築いてきた繁栄の強固な礎となりました。これからの50年もまた、新たな挑戦に立ち向かわねばならないでしょうが、同時に素晴らしい新たな機会をもたらすことでしょう。また、日米同盟関係は経済成長、政治の安定、そしてより一層のアジアの平和の基盤であり続けるでしょう。サンフランシスコ平和条約は、平和の希求において、日本が米国と全く同等のパートナーとなる、という遺産を残しました。パートナーだからといって、われわれはいつも同じ見方や同じ政策的手段を行使するわけではありませんが、パートナーであるからこそ、困難に立ち向かう時、両国は肩を並べて協力していくと確信しております。私は21世紀の両国関係に絶大な希望と期待を持っております。日米両国が力をあわせて努力すれば、平和と繁栄はただの夢ではなく、われわれの家族のための現実になることと確信しております。


飯久保 廣嗣
A50事業幹事会委員長


 1945年9月2日、ミズーリ号の艦上で行われた降伏文書の締結式において、次のようなマッカーサー元帥のスピーチの一節がありました。一部引用させていただきます。
『・・・我々は、平和を回復する厳粛なる協定を締結するために、この場に集まった。相異なる理想とイデオロギーとをめぐる相剋は、戦場において終息した。・・・・われわれは、相互不信、悪意、あるいは憎悪の気持ちをもってここに集まったのではなく、むしろ、戦勝国も敗戦国も、共にわれわれが寄与せんとする、より高き尊厳に向かって立ち至ることこそ、我々の意図するところである。すなわち、自由、寛容および正義の実現のために捧げられる世界が到来することこそ、私の最大な希望であり、人類の望みでもある。・・・』
 日本人が過去の恩義を思い、感謝の気持ちを明確にお伝えすることこそ、国際社会における日本人の尊厳を確立し、発信することであり、『水を飲むときに井戸を掘った人の恩義を忘れない』といった東洋の思想に結びつくものと思います。


その他ご協力者

・小沢征爾
A50式典およびキャラバンの為に感謝と友情の音楽とメッセージを提供
・渡辺貞夫とその仲間達
A50式典でのジャズ・コンサート
・A50記念吹奏楽団
A50式典での国家吹奏、生演奏
・加藤三郎
全日本盆栽協会より式典用の盆栽展示



連絡先:A50事業関連連絡事務所 (株)デシジョンシステム気付
東京都港区赤坂6-8-9氷川坂ビル Tel.03-3589-0321
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