A50事業報告 / A50実行委員会 |
沿 革 |
|
1993年夏 |
素朴で個人的な着想だった。前駐シンガポール米国大使のロバート・オア氏と、当活動の発起人の一人である飯久保廣嗣氏の間に交わされた会話にさかぼる。オア氏はインデイアナ州知事時代に、日本のある自動車メーカーが同州に進出し、雇用を創出して同州の失業対策に貢献したことに恩義を感じ、その後も同社製品を愛用し続け、将来にわたってもその姿勢を変える気はない、と述べたのである。この時、飯久保氏は、戦争直後の日本の復興期に、米国と米国民が差し伸べてくれた厚意と善意、支援や協力に対して、日本人は適切な謝意を表明してきただろうか、という疑問を覚えた。礼節を尊び、信義を重んじることを規範としてきた日本人の心を、米国人に理解してもらうことが、日本の尊厳のためにも必要であり、そのためには、お互いの目に見える謝意の表明活動をしなければならない、と感じたのである。そして、この着想はすぐに同志を生み、その輪を拡げた。 |
1994年6月 |
設立準備会発足。 44回に及ぶ会合を重ね、活動を展開。経済人、政治家、外交官、言論人など各方面から賛同を得た。その間、1995年8月、世話人会が開かれ、大河原良雄(世界平和研究所理事長・元駐米大使)がその代表に就任。 |
1998年5月 |
サンフランシスコ平和条約締結50周年記念A50事業(略称A50)発起人会(代表:大河原良雄)発足。 |
9月 |
実行委員会発足。 第1回実行委員会で発起人代表を実行委員会会長に選出。同時に幹事会(代表:飯久保廣嗣)を設け、その下部に募金部会、奨学金部会を置いた。更に、財務委員会、奨学金委員会、出版委員会、式典委員会も次々と設置し、事務局体制も敷いた。 最終的に、実行委員会は10回、幹事会は44回に及び、A50事業の趣意・理念・事業内容などが次々と固まった。 |
連絡先:A50事業関連連絡事務所 (株)デシジョンシステム気付 東京都港区赤坂6-8-9氷川坂ビル Tel.03-3589-0321 |